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チェルノブイリ原子力発電所事故 -2011年05月30日

チェルノブイリで1986年に起きたことと、現在フクシマで進行中のこととは、事故の原因や経過自体は異なるにもかかわらず、驚くべきほど似ている。

チェルノブイリでは、事故発生当初の情報開示があまりにも遅く、北欧など近隣諸国での放射性物質の検出により発覚。

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(広瀬隆・著「新版 危険な話」(新潮文庫)平成元年 20ページ)

「爆発した4号炉をコンクリートで封じ込めるために、延べ80万人の労働者が動員された。4号炉を封じ込めるための構造物は石棺(せきかん / せっかん)と呼ばれている。

 事故による高濃度の放射性物質で汚染されたチェルノブイリ周辺は居住が不可能になり、約16万人が移住を余儀なくされた。避難は4月27日から5月6日にかけて行われ、事故発生から1ヶ月後までに原発から30km以内に居住する約11万6000人全てが移住したとソ連によって発表されている。しかし、生まれた地を離れるのを望まなかった老人などの一部の住民は、移住せずに生活を続けた。」
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(広瀬隆・著「新版 危険な話」(新潮文庫)平成元年 160ページ)

「想定外」の事故。
情報開示の遅れというよりも隠蔽によって、住民の避難が遅れ、チェルノブイリに最も近い(4~5km)町プリビアチでは、事故当日の朝からヨウ素剤が各戸に配られ、避難措置がとられたのは翌日になってからでした。
その後、政府は避難対象地域を30キロ圏にまで広げ、10日間ほどもかかって避難させました。 

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(広瀬隆・著「新版 危険な話」(新潮文庫)平成元年 301ページ)

風向きや降雨によって、放射性物質は同心円状にではなく、まだらに降り注ぎ、300kmほども離れた地域でも高濃度汚染が観測されました。
このため、1989年2月。白ロシアの20の村の住民に対し、新たに避難命令が出され、さらに11月には613の白ロシアの市町村の住民に対し新たに避難命令が出されています。

土壌からの外部被曝、食物や自らの内部被曝にさらされ、深刻な健康被害をもたらす結果となりました。